夜間、ですな、中途覚醒。エアコンを切ったので、湿度が急上昇中。やれやれ。
昨日のコメントで教えてもらった、これ。
X(旧ツイッター)をやっていないので、どういう議論になったのか分からないけど、「頭が赤い魚を食べる猫」⇒イラストの2番しか、正解にならないと思う。口頭で「頭が赤い 魚を食べる猫」とポーズを入れる1番も有り得るけど、それなら書く時は「、」で区切るか、「魚を食べる頭が赤い猫」にしないと伝わらない。全体が赤い魚なら、「頭が」は不要だし。
情報を伝えるための言葉の使い方は、そういうものだ。いろいろな解釈ができてしまう文は、「悪文」である。
【言葉選び】思っていることを正しく伝える言葉を選ぶ “プログラミング思考” 分かるだろうで済まされない【久保田智子のSHARE#22】抜粋
詩は、わざと常識的な範囲からずらした言葉の使い方をしたり、すべて言い切らないで余韻を持たせたりする。情報を伝えるのが目的ではなく、感情を呼び起こして共感を得るのが目的だから。なので『詩経』みたいに、時代によってさまざまな解釈が生まれる。それでも生き残るのが、生命力のある詩だ。
北京の朝ごはんは、これに近い。ハルピンも。山東の辺りが、『詩経』時代から文明が栄えた黄河下流域ですね。西太后が好んだ料理人が山東出身だったかな? ハルピンに移住したのも山東人で、大柄な人が多いのが特徴。
