2022年3月31日木曜日

古琴の譜面、昔はもちろん五線譜はないのです。こんな感じ。


音の長さが分からないですよねえ。なので師匠のあとについて練習して、覚えるわけですね。

ピアノとか、いま学校で西洋音楽をはじめに習うせいで、つい等拍にしがちだけど、たぶん違う。平均律もぜんぜん違う。

五線譜は音の高さが分かりますが、古琴はあちこちで同じ高さが出せるので、五線譜だけではどう弾いていいやら、分かりません。

そういえば、この写真の琴譜もだけど、けっこういい加減で、譜面の通りにやったつもりでも「違う!」と言われ、「でもこう書いてありますよ」「それくらい分かるだろ!」みたいな会話もあったな~。譜面にすればこうだけど、対面で「見ながら覚えなさいよ」みたいな世界。譜面に表せない微妙なものが、どうしてもあるし。

コメントいただいた「図形譜」、面白いですね。世の中は、私の知らない才能に満ちあふれているな~。

2022年3月30日水曜日

諸国漫遊は、定年後の話です。「お梅さん」がいるから、ピアノは電子ピアノでいいや、と思ふ。

ハノンはいつも1番から、つっかえながら10番まで到達。毎日数分しか触っていない。でも、これでいいのだ! 

苗木を植えて「これを毎日跳べ!」という修行法が、映画かドラマにあった。苗木はどんどん成長し、それにあわせて力もついていく、という。少しずつでも毎日続けられれば、だがニャ。

ごんじー春月、むか~しの短い動画があったので、顔本に上げておきました。師匠が簫を吹いています。古琴は音が小さいの。静かなところで自分と「知音」だけに聴かせるものらしい。

顔本のほうでご質問いただきましたが、古琴ではここ1000年くらい「減字譜」を使っています。左手と右手それぞれの弾き方を記号化したもので、音の高さはパッと見ただけでは分かりません(私は)。それを五線譜でも表したものが、テキストになっています。


減字譜が考案される前は、文章で「右手はどの弦をどうして、左手はどこをどうして」と書いていました。その古い譜面「碣石調・幽蘭」が、日本に伝わって残りました。1つの音を表すのに長々と文になっていますが、その通りに弾けば、曲になります。

2022年3月29日火曜日

私の持ち物でいちばん高価なのは、「お梅さん」である。しまっておいてももったいない、とクローゼットから出して、「如葉ちゃん」には、どいてもらった。どちらも古琴の名。

「お梅さん」は桐だし細身なので、軽い。これなら担いで諸国漫遊することも可。音もよく響く。余韻が長い。

弾き手がダメダメだけど、これが縁というものぢゃ。おつきあいくだされ。

2022年3月28日月曜日

暖かいですニャ。窓あけっぱで、これ書いてます。桜は、樹によるけど5分から7分咲きのもあります。

あいやー。わたくしの標本木は満開になっていた。


2022年3月27日日曜日

韓ドラ「応答せよ1988」を我慢しながら見ていたら、第4話で少し面白くなってきたカモ?

私の1994年は、留学から帰ったあと、久しぶりに北京へ行き、「あ、生足だ!」と驚いた年です。それまでどんなに暑くても素足にサンダルの人なんて、男女問わず見たことなかった。それ以降、行くたびに中国(ほぼ北京だけど)は、どんどん変わっていて、もうついていけない、置いてけぼりかな?

2022年3月26日土曜日

昨日は久しぶりに研究室へ行き、4月のプチ講演の資料を完成。少し作りを変えて、見やすくなったと思う。あとはちょっと練習して、時間内に収めること。あまり練習しすぎると早口になるから、資料を見直しながら1~2回ね。

次号の会誌に出す論文のテーマもあれこれ考え中だが、ネオ訓読(口語訓読)でいいかなあ、これがまだまだ時間かかるので、新しいテーマでもう1本はきつそう。紀要に出すつもりだったから、内容や書き方がだいぶ変わるけど。

などということをまだやらなければいけないので、本もなかなか処分できない。

2022年3月25日金曜日

ご心配おかけしましたが、うちに上がってもらった人たちは、そこまで悪質ではなかったです、運がよかった。

そういえば以前、本箱を処分しようとして、やはり室内に入れてから「8000円」と言われ、「ええ~、1万ちょっとで買った安物なのに?」「でも運び出しの手間とかありますから」で、断ってもよかったのだろうけど、ガタイのいい2人組だったのでちょっと怖くて、「じゃあ1つだけ」とやってもらい、もう1つはバラして燃えるゴミとして出しました。

うかうか生きてるな~、あぶない、あぶない。

1988年は、私が杭州へ留学した年です。日本より数年遅れているどころの話ではなかったです。長江以南は暖房がなく、練炭でお湯沸かしている時代なんで。北京の四合院で暮らす人たちも、炊事や暖房が練炭で、冬は配給の白菜ばかり食べていた時代です。

そういう生活も、慣れるっちゃ慣れる。日本に帰国した時に、スーパーでいちいち包装しているのが無駄だな、と思った。電灯もつけすぎ、と。夜は暗かったですね、店は早く閉まるし、街灯はオレンジの白熱灯だし。

いま同じ生活をしろと言われたら、無理っぽ。便利な生活にも、慣れますね。

2022年3月24日木曜日

処分したいタンス、地震がきて倒れたらアタマ直撃する、と思って2階から一人で下ろした。上下に分かれるけど、上の観音開きの扉が重たいので、外して。粗大ゴミの券も買ってあったのに、陳さんが「使えるのにもったいない!」と、パカパカはがれるところは透明のテープでとめ、扉も付け直して。

この扉が、蝶番がもうさびていて、ネジのアタマもつぶれて、なかなか付けられない。ネジを1本はめている間に、もう1本が抜ける、という調子で、陳さんとゲラゲラ笑いながら、「ほーら、まだ立派に使える!」ということで、いまは多すぎる黒豆を貯蔵している。

邪魔だけどな~。こういうあれやこれやが、人生なのぢゃ。いつくしみませう。

2022年3月23日水曜日

寒い。

昨日は大規模停電になるかも、ということで微力ながら節電に協力し、電化製品は控えめに使用、日没前の明るいうちに風呂・夕食を済ませ、湯たんぽで、9時前に寝た。結果、大規模停電は回避されたもよう。

やれやれ、戦後じゃあるまいし。ってか、蠟燭の火をともしながら読書会を続けた、とは大先生たちの時代。贅沢って慣れるのね。。

最近増えている「不要な物ありませんか?」な人たちが来たので、「タンスなら処分したいのがあるんだけど」と言うと、査定の人たちが来て、処理費を確認する間に、「こういうの、ありませんか?」と色々言うので、見せていると、結局、「金なら買取したい」ということだった。ネックレスどれか1つでも、タンスの処理費を上回る金額で買取してくれるそうだ。

でも売らなかったし、タンスも「がんばって運び出して、自治体の粗大ゴミに出します」で帰ってもらった。「手放したくない理由は何ですか?」と聞くので、「だってそれぞれうちに来た由来があるじゃない?」 いまは使ってないけど、使っていたあの頃、とか思い出は値段つけられないじゃん?

台湾旅行でつい勢いで買ってしまった翡翠と称するペンダントとピアスとかさー、ほんと、なんで買ってしまったんだろう、要らない、と思うけど、一緒に行った人がいたし、温泉も行ったり楽しかったよね、とかさー。

2022年3月22日火曜日

雨。もしかすると雪にもなるカモだって。魚っ!

2022年3月21日月曜日

「カンフーハッスル」を見てしまった。くだらなすぎて、ヒクヒク笑いっぱなし。


上野でポンペイ展を見たよ。上野公園でいつも早々と咲く3本。

2022年3月20日日曜日

ピアノの話をしていたら、やっぱり古琴って繊細な楽器だな、と思った。琴面に指で直接触るので、音だけでなく、楽器の振動を身体で感じる。ギターや琵琶なども、そうなんでしょうけど。平均律でOKですか?、問題もあるかもな。

琴は木製だから、湿度にはとくに影響を受ける。弦はいまスチール製で、絹製だとさらに影響が大きい。「音がちょっと下がってきた、外は雨かな」なんて作品もあるのだ。優雅でございますね。

琴面に対して、両手を広げる姿勢で弾くので、太極拳みたいに、気を身体に巡らせるような感じにもなる。琴を弾く=養生になる、というのは分かる感じ。簫も、長く息を吐くので、養生になる。実際、簫を吹くことが一種の治療法とされた時代もあった。

究極的には、楽器なしで、歌うのがいちばんカモ。詩吟とかね。後ろ手でゆっくり歩きながら、詩詞を朗詠、ですかね。

思い出してみると、子どもの頃、電化製品やインスタント食品は、まだ普及する途中だった。テレビが家にきたのも小学生の頃だったし、マクドナルドやセブンイレブンも日本上陸が小学生の頃、自分で利用したのはもっと後。インベーダーゲームは高校生の頃、喫茶店にあったが、とくに興味なし。この手のゲームは、飛行機に乗った時にたまにテトリスやる程度。

ワープロが大学院修士の頃。のちにパソコンになり、これは今でもかなり恩恵に預かっている。スマホはまだ使いこなせない。電源切って、机の端に置いてある。引き出しに入れていないだけ、すこし進歩。

「読書」の習慣がついてから、テレビ。漫画は、新潟のいとこの家で読むものだった。ラジオの深夜放送を聴くとか、レコードを聴くとか、そういう方向には行かなかった。自分で歌を歌うとか、オルガンやピアノを習うとか、そっちへ行った。

陳さんはさらに年上なので、電子レンジも使いたがらない。洗濯機も、「服が傷む」とか言って、手洗い推奨。

2022年3月19日土曜日

今日は一転、4月中旬並みの暖かさになるらしい。鼻がむずむず、花粉飛んでる?

高校の時は、毎日荷物が重かったな~、と思い出した。スポーツバッグ(当時流行っていた)にテキスト、ノート、辞書数冊が重かったわ。

電子辞書が出てからも、なんだか使い勝手がよくないので、家にも研究室にも長野にも北京にもハルピンにも、同じ辞書が1セットずつ、なんてことになっていたけど。

マグマ大使ならぬ「国学大師」というサイトが、閉鎖されてしまった。辞書各種の串刺し検索(しかも当該ページの画像が出てくる!)ができて、すごく便利だったけど、運営はいろいろ大変なのだろう。

漢籍データベースなるものがあるが、書名を検索したあと、各図書館&文庫の蔵書が画像でアップされていたら、図書館まで足を運ばなくてすむので、すごく助かる。いろいろクリアしなければいけない問題があるだろうけど。

それでも「実物を見ないと分かりません」ってことで、見せてもらいに足を運ぶケースもあり得る。画像の鮮明度とか、本の造りどうなってんの?とか、こっちにもいろいろ注文ありまして。

例の知り合いの上海人が、子どものためにピアノを買いたいそうで、電話でいろいろお話。本物のピアノを知っていて、「電子ピアノもなかなかいいよね」なのと、電子ピアノしか知らないのとでは、違うと思うよ、と。日本の住宅事情で、本物のピアノを置くのは、けっこう厳しいけど。

気兼ねなく弾けるお家の子がやるべき習い事なのかも知れないわ。でも指を動かすって、いい脳トレよ。私はもうこの先、電子ピアノで十分だけど。

2022年3月18日金曜日

寒い。昼になっても気温上がらず、1月下旬並みの寒さに逆戻りらしい。やれやれ。花たちも可哀想。

杭州留学時代、1年目は留学生宿舎がなくて、職員用宿舎を割り当てられていた。暖房がなくて、冬は外と同じ気温。室内でもダウンコートが手放せない。電気の容量が少ないので、コイルぐるぐるした電熱器を暖房代わりに使うと、ブレーカーが落ちる。

ガスもないから、練炭で沸かしたお湯のポットを持ち込んで、なんとなく洗う。中国人一家は職場や学校にシャワーがあるので、そもそも宿舎に設備がない。なんちゃってシャワーを作ってくれたけど、そこも暖房がないから、冬は寒くて使えない。

冬休み(春節休み)に一時帰国したら、羽田空港で「ぽわ~ん♪」と臭う気がした。やっと家にたどりついたら、「銭湯に行こうか」と家の風呂に入らせてもらえなかった。

体重は43キロまで落ちていた。食堂の時間をしょっちゅう外して食べ損ね、配給切符がないからパンもマントウも売ってもらえず、ビスケットを囓っていた。ビスケットは主食ではないので、お金を払えば買えたのだ。油も、ごま油なら買えた。現在でも料理にごま油を使うことの多い私である。「まごわやさしい」の「ご」をここでクリア。

2年目は留学生宿舎で、2人部屋を1人で使い(潤沢な奨学金あったんで)、しっかり体重を戻して帰国。アメリカへ行く時は逆に、「デブはバカにされそう」とダイエットしてから行った。そのころ買ったダンベル体操のビデオを、DVDに焼いて、今でも使っている。

座っている時間が長いし、運動不足で太る。と通勤ついでウォーキングをやっていたら足のかかとが痛くなったので、どうしたものかと思ったところへ、ロウカット玄米なるものを見つけ、これでゆっくり院生時代の体重に戻った。歯を保持するために間食やめたのも、大きいかも知れない。とにかく定年まで、なんとか歯が抜けないように頑張りたい。歯が抜けると、発音に影響するだろうから。

理由や原因、目的があって、太ったり痩せたり、しているのである。隣の奥さんは結果だけ見て、騒いでいたけど。

体操30分は、やったほうが気持ちがいい。同じ姿勢ばかりで、身体がつらい。博論を書いていた時は、最後ぎっくり腰になって、這ってワープロ(当時)で結論を書いた。いまはあんな集中力はなく、ちょっと飽きると、音読とかハノンとか、お習字は立ってやっている。

「多宝塔」もちょっと飽きたな、と蘇軾のお手本テキストがあったので、やり始めた。蘇軾が書いた「酔翁亭記」で、「酔翁亭記」の著者は欧陽脩である。文の最後に、「酔翁亭の名前つけた太守って誰かって? わたし欧陽脩ですよ」とある、ちょっと珍しい文である。「酔翁亭記」はアナウンサーが朗読した『歴代美文選』にも採られているので、録音も聴いてみる。お、おーよーしゅ? 世界はつながっているニャ。

杭州留学時代に買ったテキストで、「蘇東坡書酔翁亭記」は2元、「顔真卿書多宝塔碑」なんて8角5分(しかもシールで貼ってある。はがしたら本来の定価はもっと安かったはず)。蘇軾も飽きたら、定年になった先生がくれた「王羲之蘭亭序」をやろう、と思っている。お金かけずにここまでできた!、はモチベーションになるのね。 

2022年3月17日木曜日

長く揺れた。例によって揺れる直前に目が覚め、テレビで震源地や震度を確認。寝ようとしたら、また少し揺れた。

2022年3月16日水曜日

また夜中に目が覚めたが、胃がむかむかしたので、板蘭根をゆっくり飲んでから、寝た。今朝はもう大丈夫みたい。やれやれ、天候の変化に身体がついて行けてましぇん。

優しさと癒やしを求めて、アールグレイ+ピーチの紅茶を淹れてみた。香りは桃しかしない、なに余計なことしてくれてんだ、な気分。飲んでみると、ん~、ほのかにアールグレイも感じるカモ。鼻の奥にアールグレーの香りが、残りますね。

ネオ訓読(口語訓読)で「宋詞三百首」を読んでいるせいか、オンライン研究会では皆さんに耳を傾けてもらえる発言を、けっこうできた私である。やっぱり量稽古って必要だし、有効ね。

なので気をよくして、岩波文庫『唐詩選』(前野直彬注解)を、語注も含めて音読することにした。上中下3冊もある、いつ終わるやら。でもやり続けていれば、いつかは終わる。

訓読は苦手~、と逃げてネオ訓読(口語訓読)をやるわけではないのだ、という立場を堅持する必要もあるし。研究会には、唐詩が専門で、訓読が得意なメンバーもいる。来年の研究会(まだオンラインだろうか)で、驚かせてやるぞ!

と、ここに書いておくと、続く可能性が高いからニャ。(←「有言」しないと「実行」できない人)

2022年3月15日火曜日

曇り。初夏のような陽気が続いて、一気に花が咲き始めた。うちのヒヤシンスもようやく。これから雨の日も多くなって、いよいよ春だな~。

「本を出したい」人は、いちど原稿がどういう過程を経て、本になって店頭に並び、読者の手に届くのか、研修ツアーでもしたらいいんでないかな? その全行程の「ここ」やってます、を理解するために。

お互いに理解が必要だろうけどね。どうやって原稿が出来るのか。「勝手に原稿をいじるな!」は、著作権法で守られているだろうけど。

2022年3月14日月曜日

オンライン研究会、3日目(最終日)。

余裕で皆さんの議論を聞きながら内職したりで、ところどころ口を挟んで。次号の会誌に論文を出すことになったので、あれこれテーマを考える。よっしゃーっ!!

夜中にまた目が覚めたので、韓ドラ32本目「マイ・オンリー・ラブソング(마이 온리 러브송)」を見ていた。時代劇コメディ、1話30分程度×20話、韓国語字幕付き。

2022年3月13日日曜日

オンライン研究会、2日目。

あんなにくたびれたのに、夜中に目が覚めて、がっくり。ちょっと書いたら、二度寝するぞ! みんなズーム慣れしたのか、画面や音声をミュートにするから、居眠りしていてもバレないが。

詞にはよく「断腸」が出てくる。サルの子をつかまえたら母猿が悲しんで泣きながら死んでしまい、腹を割いてみたら腸がズタズタだった、という故事。いろいろ不思議な話で、なんでサルの子をつかまえたのか、なんで母猿の腹を割いたのか、不明。食べるためかな~、げっ。

これを「はらわたもちぎれんばかりに」とか訳すわけだけど、「日本語だと、胸もはりさけそうな、ですよね」という意見が出て、そうだ、そうだ、と思った。そのあと昼ご飯食べながら、腹は「はちきれそうな」、頭は「割れそうな」、と余計なことも考えた。膝は「笑いそうな」ではなく、「笑う」かな?

あと「去年」は、いまの去年なのかな。年譜と比べると1年ばかりずれていて、「でも一昨年の、とは言わないんじゃないかな~」と思ったが、発言するチャンスは失った。同時に発言できない、割って入りづらいのが、ズームの限界っすね。誰かの発言が終わるまで待って、すかさず他の人が発言するのも待っている間に、話の流れが変わっていたりして。

介詞の「将」を、「もって」と訓じたりするけど、「要らないんじゃないですか、平仮名でいいですよ」という意見も出た。「不」「也」などは漢字を残さないので、それと同じ扱いで。ネオ訓読(口語訓読)のほうでは、こういうのを「ひらがなに漢字ルビ」もやってみた。

いろいろ勉強になります。

昨日書いたあれこれは、ぜんぶ途中でやめていたことじゃないですか! でも再開すると、身体が覚えている部分もあって、ゼロからやるより楽ですね。

それに、関係なさそうなことが案外つながっていて、応用がきく、ってのもありそう。たとえばお習字は顔真卿の「多宝塔」をお手本に臨書、を前にけっこう練習してまた再開したわけですが、『30分で絵が描ける~』もお手本を見ながら真似、視覚情報が手に伝わって……、は同じ回路を使っているな、と感じます。

2022年3月12日土曜日

オンライン研究会、1日目。

ツラいかも知れないので、癒やしのハイビスカス茶やアールグレイ(+桃などフレイバー)を買っておいた。ティーバッグの袋がカラフルで、選ぶ時から、ウキウキ♪

ハノンは、両手同じ音階ばかり? 右手に引っぱられて左手を動かすので、いい感じ。左右違う練習曲や、簡単な曲も、だんだんやってみよう!

勢いづいて、クローゼットに入れておいた古琴も、引っぱり出した。楽譜を見ながら、「おお、こんな曲だった!」で、これも少しずつ。

2階の机には、習字道具も並べた。これも1枚(半切)ノルマで、少しずつやろう。

「外郎売り」は5分くらいで読める。これを毎日続けると、効果を感じられる。体操30分も、ルーティーンにしていると、ころな生活でも太らない。よきことぢゃ。

定刻になにかするのは苦手だけど、1日1回やればいい、みたいなのは大丈夫なので、どれも少しずつ、長~く続けて。これを「逆・白雪姫7人のお皿からまんべんなく頂戴します!方式」と命名する。

2022年3月11日金曜日

ハノンねっ、と楽譜があったので、やってみた。1番と2番だけで、疲れた。たまに練習したら、いい脳トレになりそう。

「外郎売り」もやっているうちに、舌が回るようになってきた。マスク生活で、しゃべりづらくなっていた。私は拗音、「そりゃそりゃそらそりゃ」とか「書写山の社僧正(しょしゃざんのしゃそうじょう)」とか「お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ(おちゃたちょ、ちゃだちょ、ちゃっとたちょちゃだちょ)」なんかが苦手だったけど、けっこう言えるようになった。

声はまだ出にくい。教室で声をはるのと、画面に向かってボソボソ話すのでは、出し方が違う。ころな生活が2年も続き、声帯の筋肉がすっかり衰えたと思う。歌も歌っているが、まだまだ音程が不安定。

全体的に筋力が弱すぎる。子どもの頃は、公園で雲梯なんかもやっていたし、木登りも得意だったのに。よーく思い出してみると、私は足が遅かったが、早生まれだし身体小さくて、4月や5月生まれのガタイのいい子によく突き飛ばされたりしていたのだ。

球技が苦手と思っていたけど、女子はバレーボールの時代で、玉が当たると腕が痛いから、イヤだった。突き指なんかもしたよね、ピアノ習ってたのに。跳び箱もぶつかると痛いから、怖かった。縄跳びも当たると痛くて、やりたくなかった。あの頃はブリッジも逆立ちもできて、そういう1人でやれて痛くないものは、平気だった。

転機は小学3年生だったかも知れない。隣の席のK君がイジワルで、公園で遊んでいると髪を引っぱったりして、イヤだから家にいることが多くなった。迎えに来る子もいたけど、行くとK君が虐めるのだ。

K君はそのうち転校していったが、私にだけお別れのプレゼントをくれず、母親が「どうしてそこまでイジワルするの?」と子ども相手に詰め寄っていた。。私が教科書なくして、K君に「見せて」って言ってたからかな、と思ってたけど。

教科書は、夏休みが終わるような頃に机の上を片付けていたら、机の後ろに落ちているのを発見した。書店には「教科書ガイド」しか売っていなくて、ずっとK君に「見せて」をやっていたのであった。

歯の矯正をしていて、給食のたびに下の歯のブリッジを外す(上はワイヤー固定式)のも、きっと虐められた原因だっただろう。隣の席の子が、給食のたびにそんなことしてたら、げっ、きたねー、こいつ、と思っても仕方ないかな。だから髪を引っぱるとか、今ごろは道ばたで「なんでマスクしねぇんだよ!」とすれ違いざま聞こえよがしにつぶやくマスク警察男(←最近いました)になっているかも知れない。

成長期だから、ワイヤーも少しずつ締め直すし、なかなか大変だった。いまなら大人になってから、もっと目立たない方法で短期間に、矯正できるのかも知れない。

隣の奥さんが、体型以外にもいろいろディスってきて、「遊んでてお金もらえていいわね」とか言われると、(何が分かるんだ、うっざい)からの~、(できるんだから仕方ないでしょ)になっていた。「好きなことでメシ食えてラッキー♪」なのに、「恵まれてるよね」「運がいいよね」と言われると、なんか違う、と。

それが2~3日前に紹介した蘊蓄動画をまじまじ見てしまった理由です。いったいどうしてそんなこと「ばかり」言うのかな、と。

努力遺伝子がないからか!、で納得するわけもなく、あいかわらず理由は分からないが、私が何年も何年もテキトーに流していたのに、大学芋ごと撃退してしまったのは、きっとぷーちんのせいだ。イジワルだったK君を思い出したのも。

1万時間って、かなり大変。韓ドラをあんなに見ても、1本1時間×20話として、×30本=600時間です。16話とか8話なんてのもあったから、やっと500時間くらいかな。テキストや「星の王子様」もやっていたから、足して1000時間くらいになったかも知れない。

もうちょっとやって2000時間くらいで、「向いてそう」とか「見こみありそう」で仕事にできると、3年もすると「やっと使い物になった」って感じで、給料もらいながら勉強もして、めでたく1万時間に到達。雇用が不安定になると、無理っぽ。こいずみとたけなかのせいか、みんなギスギスしちゃって。

2022年3月10日木曜日

沈丁花が咲きはじめた。お散歩へ行くと、いい香り。

『色えんぴつでイラスト』とか『名画に学ぶ にっぽん筆ペンイラスト』とか、買ってみた~。道具はあるんだから、少しずつ真似っこ。

実物を画に落とし込む「才能」は、まったく持ち合わせていないと思う。お手本の画を真似して練習する「努力遺伝子」はあると思うので、やれば「能力」は伸びるはず。あとは、努力遺伝子5レベル持っているけど、どのレベルまでギア入れるか、みたいな?

何でも1万時間やればそこそこのレベルまで行く説、1万時間=1日10時間×365日×3年、「石の上にも3年」説を、まあまあ信じている。

毎日10時間ずつ3年間1日も休まずに、なかなかできないし、それ1つやっていたら他のことができないので、「毎日休まず」を固定すると、1時間ずつなら27年、30分ずつならその倍、かかる。

平均するとこうなるが、スタート時は1日10時間ずつとか、日本語の知識を利用して韓国語、中国語の知識を利用してベトナム語、のように応用させると、1万時間も要らないかも知れない。

いろいろ応用できるようなことほど、幼い頃に学ぶのでしょうね。

2022年3月9日水曜日

安定の早寝早起き。ねむ。。二度寝しよ。

夜中に目が覚めても、メガネかけて文字を追うのはツラく、でも韓ドラに飽きて、華ドラもっと前に飽きて、ネットであれこれ蘊蓄語る人のを見てたら、今さらだろうけど「能力至上主義は正義か(反語)」みたいなハーバード大学の先生の本を語っているのがあった。

この場合の「能力」=学力で、偏差値の高い子⇒有名大学⇒大企業⇒高所得=上級国民⇒下級国民を見下している、お前らぜんぜん偉くない、運がよかっただけ、もっと謙虚になれ、みたいな論法。

「できる人」には「できない人」がなぜ「できない」か見えてない、自分は「できる」から「バカの壁」なんて言ってしまうが、「鈍感の壁」があって見えない。努力できるかどうかは遺伝子で決まっている、努力が報われるか否か以前に、努力できるかどうかは運次第なのに、というわけ。

努力遺伝子があっても使わない人もいるだろうし、才能のない分野で努力しても報われないだろうし、とても乱暴な話だな~。能力以外の差別がまだまだ残っている状況で、「能力で差別するな!」というのも、ね。努力遺伝子があるのに「使えない」「使わせない」社会は、イヤ。

白人男性教授(と敢えて言おう)が自戒をこめて「運がよかっただけ」と言うならまだしも、違う「属性」の人たちが真に受けて、他人に「運がよかっただけ」と言うのは、なんか惨めな感じ。

才能(0~5)×努力(0~5)=結果、という某漫才師の話は、面白かった。私の場合、絵=才能1×努力1=結果1レベル、歌=才能3×努力4=結果12レベル、みたいな。こういう分野で、能力を発揮して、大金稼ぐ人もいるはずだけど。

チャイ語は、才能4×努力5=結果20レベルかな~。子どもの頃から読書好きで、国語は得意だったからね。才能5という感じはしない。努力5までフルでやって、いまのレベル、まだまだ上がある、という感じ。才能5×努力5=25だから、5も差があるのだ。

受験科目で、国語は他の科目と違って、受験勉強しても成績がなかなか上がらないし、下がらない。でも最近は、読解力が落ちてきているようで、何か原因があるのだろう、スマホかな?、という話もあった。最初から短い文(5行以内)しか読んでいない世代か?、という。

才能0というのは、なかなかないだろうから、「努力が足りない!」みたいになるんでしょうね。そこも否定して、「遺伝子で決まってるんだ、努力しても無駄だ、そもそも努力できない遺伝子だ」となったら、あとはAIになんとかしてもらう? 

努力0だと、どんな才能を掛けても、答えは0になってしまふ。掛けなければ、才能2とか才能5とか、残るけど。

こうしてみると、才能(1~5)×努力(1~5)=能力(1~25)で、それに運が0、下手するとマイナス、が加わるのかも。運の幅が少ない社会や世界であって欲しい。

2022年3月8日火曜日

今日は2月並みの寒さに戻り、弱い雨または雪も降るらしい。

神仙ファンタジー「三生三世十里桃花」では、神仙の世界と人間の世界を行ったり来たりするが、片や○万歳、片や人生60年、辻褄をあわせるために、「神仙世界で香が1本燃え尽きる時間が、人間世界では3日間」みたいな換算をしている。

神仙の寿命を人間の寿命に換算して、納得している感じ。あっという間に300年たったのに、神仙世界で生まれた子(母親はそのころ修行のため人間になっている)が、まだ3歳くらいで。

単位を換えて、見かけ上の数字をそろえて、安心感を得るような。原発事故の時に、当時の政権与党が使った手段ですね。

台湾の故宮博物院に画を見に行った時に、ふと書店で買った『古典詩詞時空設計美学』という本、台湾師範大学の先生の学生さんの博士論文で、この理論をやっているグループがあるようなんだけど、前から気になっていて、それを発展させたのが「詩路」だった。

でも私も、修士論文の頃から、作品に「時間」「場所」「視覚」「聴覚」などマークつけることは、やっていた。絶句は「起承転結」といわれるが、詞(とくに2段構成の場合)は「1段めは景、2段めは情」などと言われる。そういう構成的はものは「格」だろうけど、パターンに内容を盛る際の発想のしかた、思考の流れは「路」かな、と。

「時空設計美学」は作品を絵画のように捉える。「詩路」は作品を時間芸術として捉えて、表現の流れを追っていく。

韓ドラ長いからって、相関図見ながらとか、あらすじで最後まで知っておくとか、邪道なんである~。

2022年3月7日月曜日

水墨画のテキストは、いくつか持っている。使う道具が違うので、描くステップもぜんぜん違う。

鉛筆は消せるから、昨日のバナナも、最初にざっくり設計図を描いて、要らない線は消しながら、少しずつ整えていく。バナナを見ながら描くより、バナナの画を見ながら描くほうが、断然、楽ちん。すでに不要な情報が捨てられたバナナだからニャ。

墨と筆は、消せない。修正液みたいに上から何か塗って消す、というわけにもいかない。なので、濃い線を最初に引く、とかね、思い切りが必要。水分で滲む紙に描く、というのもある。もたもたしていると、線は太く、円は大きく、なるし。

道具(媒体)によって表現が違ってくる、というのは文字情報も同じ。

形を○や△や□や楕円の集合として見る、というのは絵心のある人は自然とやっているのかも知れないが、私のような美術音痴にはとても新鮮。テキストの表紙にあるカエルとか、実際にある複雑な形をこんな風に分解して見られる、というのがすごいと思う。

私は関数は苦手だったけど、図形や幾何は得意だったので、美術と数学を合体させて教わっていたら、苦手意識を持つこともなく、けっこういい感じに仕上がっていたかも知れない。美大では、そういう感じで教わるのかも知れないけど、すでに絵心のある人、なんとなく出来ちゃう人が、理屈を学ぶのかな?

チャイ語の発音について考えている時、「アゴって上下にしか動かせない。口を縦に開けると言うけど、実際にはアゴで縦に開けていて、唇は主に横の動きだ(たまに突き出すけど)」と気づくのに、けっこう時間かかった。

運動音痴だから? 語学と体育も合体させるべきだな。教科書で腕や足の使い方を学んでから走り幅跳びやったら、20センチくらい距離が伸びた体験がある。

ああそうだ、西洋はギリシャ彫刻など立体的なものが先にあったから、絵画も立体感を出したかったのカモ。遠近法なんかも、ね。空間を立体的にとらえる。

とっても不思議。だってチャイ語って、「空間の表現は細かいけど、時間の表現はおおざっぱ」なんですよ。なのに絵画になると、空間の表現もなんだか現実離れしていて。静止している感じはしない。時間の流れ、動きを作るために、あえて捨てている要素があるのカモ。

言語も同じなのかな~。あえて細かく言わないから、普遍性が出てくる、とか。アスペクトや補語の説明をする時、「ある1回の具体的な動作に使われる」という話をする。だから古典詩ではほとんど使われない。でも詞ではたまに見かけるのは、「ある1回の具体的な情景」だったりするから、かな? 

西洋の画家が浮世絵を見てビックリした、というのも、なんか分かるな~。

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二度寝して、起きましたっ!

「中学 美術 教科書」で検索したら、ある出版社が動画付きで内容を紹介していた。どの学年も「うつくしい」で始まり、デッサンの課は「まず鉛筆でうすく輪郭を描く」だった。その輪郭をとるのが、私のような美術音痴には難しくて。

2022年3月6日日曜日

昨晩は8時過ぎに寝てしまったので、4時前に目が覚めた。どっちが鶏でどっちがタマゴかは分からないが、私の睡眠パターンは、早起きが先で早寝が後です。

昼寝して、12時くらいに寝れば、7時起床になるかも知れない。でもそれだと授業のある日は、間に合わない。9時からの授業のために、7時には家を出て、8時過ぎには研究室に到着、だから。

パーソナルマガジン「栗原はるみ」って、すごいよなー。タイトルが名前「だけ」って、すごくない? 表紙も、栗原はるみが、どーん♪ とりあえず林真理子がなんて言うか、楽しみ。

「栗原はるみ(さん、先生、様…)になりたい!」な人が、全国にたっくさんいる、ってことだよね? 出版社も本人も、そう踏んで創刊に至った、ってことでしょ? 本じゃなく雑誌、というのがまたすごい。

料理研究家とか生活アドバイザーとか通り越して、肩書きが「栗原はるみ」。真似されたいのかな? どうせ真似できないでしょうけど、って思いながらやってるのかな?


バナナを描いてみた。形のとりかたの練習(形を○や△や□の集合として見る)だったけど、むいた皮の長さがヘン。手前のは短すぎだし、右のは長すぎ。

こうして30分ずつ、いろいろな練習をしていく、というテキストです。

2022年3月5日土曜日

『誰でも30分で絵が描けるようになる本』を買ってみた~。これで練習して絵が描けるようになるかは、やる気次第(たぶんやらない)、でも考え方がきっと参考になるな、と。

噂のパーソナルマガジン「栗原はるみ(創刊号)」は、平積みになっていた。1つの書店では、ポップもついていた。すごいな~。お片付けも家事も、極めるとビジネスになるのだ。しかし創意工夫して暮らすのは素敵♪だが、雑誌をみて真似するのは、ダサいかも知れない。

と、こんなことを考えながら、レモン入り緑茶を飲んでいたら、ピンポーン♪ お隣の奥さんが大学芋を持ってきた。パックに入れてアルミホイルがかかっていて、「何か分かる?」「大学芋ですよね、ごちそうさまです」「太るからイヤ?」「いえ別に」「太るでしょ」「じゃあ、お返しします」「だって気にしているから」「気にしてませんよ」

何年も何年も、顔を見るたびに「太った」「太った」、痩せたら今度は「痩せた」「痩せた」、そしていまこういう物(揚げ物だよ! しかも炭水化物、水飴からめて)を持ってきて、「太るからイヤ?」 いったいどうしろと? だったらお返しします。

って、言っちまった。「はい、分かりましたっ」と奥さん、立腹してお帰りになりました。やれやれ、きっとぷーちんのせいだな。

去年は障子の張り替えに夢中ですっぽかした研究会が近いので、皆さんの原稿を少しずつ読む。私は周邦彦をやりすぎて燃え尽き、参加して勝手に意見を言うだけ。

ネオ訓読(口語訓読)とかぶっている作品も多いので、自分の原稿もあわせてチェック。

早起き村の2017/02/24の記事に、こんなことを書いていた。

岩田誠『見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス』をぽち♪ 長野に置いてあった気もするが、研究室へ。中古でどえりゃー安値になっている。安すぎでは?

詩もそうだが、情報というのは選択しながらインプットし、アウトプットされているのである。画の場合は、色と形がおもな要素だが、ルネサンス以前は心象絵画であって、見たまんまを描かない。だいいち描くのが神話だったりするし、大事なものは目に見えないね♪ ルネサンス以後は見たまま、写実絵画になるが、視点を固定するかしないか、など技法はいろいろ。そこへ写真が登場すると、見たまんまでは写真に負けるので、色を強調して形はぼんやりとか、輪郭を強調して色は適当とか、やり始める。現代アートはもっと実験的に。

おおざっぱには、こういう流れらしい。何を採って、何を捨てるか。詩の場合はどうか、詞の場合はどうか。参考になるかニャ~。

「詩路」に続いて「詞路」を考えていた頃ですニャ。猫語はすでに習得していたらしい。「中国画は光と影をつけない、時間の流れを止めたくないから?」なんてことも何かの本に触発されて書いた覚えがあるけど、見つからない。ここで地主に取り壊された建物の中に、あったのかしらん?

「闌干外、煙柳弄晴」という句を見て、あれこれ考えたんだけど。作者は昨晩酒を飲み過ぎて、二日酔い状態で簾を巻き上げると、降っていた朝がたの雨がちょうど止んだところで、「てすりの向こうでは、柳がもやに煙りながら『晴れを弄んでいる』」、これがどういう情景なんだろうか、と。

メンバーの訳は「晴れを呼ぶ風になびき」で、まあそういうことなんでしょうけど、雨上がりで柳の葉っぱ濡れてるだろうし、キラキラ光って見えているかもね、風に揺れて。続く句が「芳草侵階映紅薬(かんばしい草が階段まで生えて赤い芍薬の花が引き立っている)」と鮮やかな色彩だし。

階段に草が生えているのは、訪れる人がいないから。芍薬はいじわるな春風につぼみを吹き落とされて、青草に赤く映えている。二日酔いの作者は、屏風を立て香を焚いた部屋の中から、これを見ている。そして都にいた若い頃を思い出し・・。張元幹の131「蘭陵王」です。

中国って、彫像もあまり造らなかった。仏教が伝来すると、仏像を造り、それから聖人などの像も廟に置くようになったけど、漢代以前にそういうの、あったかな? 思いつかない。器物の装飾としては、鳥や動物をかたどっていたけど。廟に形代(かたしろ)は置いていたようだが、ギリシャ彫刻みたいなの、なかった気がする。ギリシャ彫刻も、一種の形代なのかな?

風景や人物を立体的に描く、という発想が弱かったと思う。文字の世界でそこは足りてました、絵画ではやりません、って感じ? 水墨画なんて、色と形もぼんやりだったりするが、「想像つくでしょ、行間を読みなさいよ」みたいな?

韓ドラに飽きて、Netflixも解約しようかな、と思ったけど「月極」らしいので、せっかくだからと「三生三世十里桃花」があったから好きなシーンだけ飛ばし飛ばし見ていたら、『史記』セミナーで『山海経』もちょっと読んだあとだったので、神仙ファンタジーがあらためて新鮮で(お?)面白かった。

時間と空間のとらえ方が、ちょっと独特よね。神仙はすぐ「○万歳」とか、そこは仏教の影響っぽい。仏教以前は、聖人といえども長生きしてせいぜい百歳ちょい。「中国人が足し算していたら、インド人は掛け算していた!」と、これも地主に壊された建物の中で書いていた。「三百歳ってどういうことですか?」「それはだな、生きていたのが百歳、死後に影響与えて百歳、さらに……(忘れた)」みたいな会話を、仏教以前はやっていて。

2022年3月4日金曜日

レモンを剪定した。実はカットして冷凍してみた。緑茶とあわせて飲むのが、好き♪

今年の春休みも北京へ行けないので、乾燥レモンが買えないからニャー。

トランプも買えないのだニャ。新学期のビンゴゲームで使う景品に欲しいのに。どこかで入手しなければ。別にトランプにこだわる必要もないけど、みんなですぐ遊べるからいいな、と。

横浜中華街か、都内の中国雑貨店にでも行ってみようか、と検索してたら、「大中」は閉店になっていた。原宿にあったのかしら? 学生時代に1~2回、友人と行ったことがあるような。

2022年3月3日木曜日

ひなまつり。

啓蟄(今年は3月5日)も近いのか~、と『日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らし』という本を開くと、旧暦の3月3日は桃の花咲く頃、かつては上巳の節句で、川で穢れを流した、とある。王羲之たちが蘭亭に集った日。

とりあえず、ハマグリでも食べようか。

・・スーパーへ行ったら立派なハマグリが1個300円で売られていたので、泣きながらホタテを買ってきた。ハマグリを想像しながら食べよう、っと。

2022年3月2日水曜日

昨日は研究室へ行って、来月のプチ講演のレジメを仕上げた。ちょっと時間をおいてから、チェック。けっこう力作。

黄山書社ほか『中国美術全集』巻軸画一、より

この画像をとるために、研究室へ行った。李公麟だったんだなー、と改めて認識。

2022年3月1日火曜日

「彝(い)」は、①中国で、常に宗廟に供え置いた器。②人の常に守るべき道。常道。

根津美術館所蔵の「饕餮文方彝(とうてつもんほうい)」が、これ。



西周時代のもので、酒器らしい。