ハノンねっ、と楽譜があったので、やってみた。1番と2番だけで、疲れた。たまに練習したら、いい脳トレになりそう。
「外郎売り」もやっているうちに、舌が回るようになってきた。マスク生活で、しゃべりづらくなっていた。私は拗音、「そりゃそりゃそらそりゃ」とか「書写山の社僧正(しょしゃざんのしゃそうじょう)」とか「お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ(おちゃたちょ、ちゃだちょ、ちゃっとたちょちゃだちょ)」なんかが苦手だったけど、けっこう言えるようになった。
声はまだ出にくい。教室で声をはるのと、画面に向かってボソボソ話すのでは、出し方が違う。ころな生活が2年も続き、声帯の筋肉がすっかり衰えたと思う。歌も歌っているが、まだまだ音程が不安定。
全体的に筋力が弱すぎる。子どもの頃は、公園で雲梯なんかもやっていたし、木登りも得意だったのに。よーく思い出してみると、私は足が遅かったが、早生まれだし身体小さくて、4月や5月生まれのガタイのいい子によく突き飛ばされたりしていたのだ。
球技が苦手と思っていたけど、女子はバレーボールの時代で、玉が当たると腕が痛いから、イヤだった。突き指なんかもしたよね、ピアノ習ってたのに。跳び箱もぶつかると痛いから、怖かった。縄跳びも当たると痛くて、やりたくなかった。あの頃はブリッジも逆立ちもできて、そういう1人でやれて痛くないものは、平気だった。
転機は小学3年生だったかも知れない。隣の席のK君がイジワルで、公園で遊んでいると髪を引っぱったりして、イヤだから家にいることが多くなった。迎えに来る子もいたけど、行くとK君が虐めるのだ。
K君はそのうち転校していったが、私にだけお別れのプレゼントをくれず、母親が「どうしてそこまでイジワルするの?」と子ども相手に詰め寄っていた。。私が教科書なくして、K君に「見せて」って言ってたからかな、と思ってたけど。
教科書は、夏休みが終わるような頃に机の上を片付けていたら、机の後ろに落ちているのを発見した。書店には「教科書ガイド」しか売っていなくて、ずっとK君に「見せて」をやっていたのであった。
歯の矯正をしていて、給食のたびに下の歯のブリッジを外す(上はワイヤー固定式)のも、きっと虐められた原因だっただろう。隣の席の子が、給食のたびにそんなことしてたら、げっ、きたねー、こいつ、と思っても仕方ないかな。だから髪を引っぱるとか、今ごろは道ばたで「なんでマスクしねぇんだよ!」とすれ違いざま聞こえよがしにつぶやくマスク警察男(←最近いました)になっているかも知れない。
成長期だから、ワイヤーも少しずつ締め直すし、なかなか大変だった。いまなら大人になってから、もっと目立たない方法で短期間に、矯正できるのかも知れない。
隣の奥さんが、体型以外にもいろいろディスってきて、「遊んでてお金もらえていいわね」とか言われると、(何が分かるんだ、うっざい)からの~、(できるんだから仕方ないでしょ)になっていた。「好きなことでメシ食えてラッキー♪」なのに、「恵まれてるよね」「運がいいよね」と言われると、なんか違う、と。
それが2~3日前に紹介した蘊蓄動画をまじまじ見てしまった理由です。いったいどうしてそんなこと「ばかり」言うのかな、と。
努力遺伝子がないからか!、で納得するわけもなく、あいかわらず理由は分からないが、私が何年も何年もテキトーに流していたのに、大学芋ごと撃退してしまったのは、きっとぷーちんのせいだ。イジワルだったK君を思い出したのも。
1万時間って、かなり大変。韓ドラをあんなに見ても、1本1時間×20話として、×30本=600時間です。16話とか8話なんてのもあったから、やっと500時間くらいかな。テキストや「星の王子様」もやっていたから、足して1000時間くらいになったかも知れない。
もうちょっとやって2000時間くらいで、「向いてそう」とか「見こみありそう」で仕事にできると、3年もすると「やっと使い物になった」って感じで、給料もらいながら勉強もして、めでたく1万時間に到達。雇用が不安定になると、無理っぽ。こいずみとたけなかのせいか、みんなギスギスしちゃって。