冷凍したホットケーキをチン♪したら、本当にすぐ戻った。焼きたてと違って、表面のパリパリ感はなくなったけど。ミックスは手軽だけど、何が入ってあんなにフワフワなのか、ちょっと不安なので、自分で粉+αを混ぜたほうがいいと思った。
いまさらながら韓国ドラマ「応答せよ1988」を見ているが、私は1988年秋から2年間、杭州へ留学したのだった。あの頃の中国は、ドラマで見るあの頃の韓国より、もっと不便だった。年収が1万元を超える個人事業主が「万元戸」と呼ばれて、珍しがられていた頃。
当時、1元=10円くらいの気がしていたが、だいぶ違った。
1元=35円だったのか~。それでも1万元=35万円だ、年収が。自転車は月給3カ月分と言われていた。陳さんの月給は200元くらいだったと思う。住居費がほぼタダだし、配給キップがいろいろあるので、それで暮らしていけたんですね。
配給キップがなくなる頃、人民元は1元=15円くらいになった。その頃から住宅も販売したり、どんどん経済開放に。
留学から帰ったあと、次に北京へ行ったのが、1994年夏だった。ドラマもちょうど88年~89年から、94年に飛ぶみたい。
余杭大劇場に昔の中国についての展示があって、そこに糧票や布票がありました。
返信削除もうすっかりそんなところに展示されるような過去のものになったんですね。
杭大新村も、いまは建て直して高層マンションになっているのかな?
返信削除なっていません。
返信削除あのあたりのアパートは古いままです。
ただ、むかしの大学の職員だった人はほとんど売り払ってしまい、大学とは無関係の人が住んでいる部屋が多いです。2020年の初めにうちのじいさんが亡くなりましたが、
むかしのままの老破小で400万元で売れたそうです。
わたしが今住んでいるところもそうですが、あのあたりは学軍中学の学区房で、ぼろのままでも高く取引されているのです。
わたしが住んでいる所も同じようなところでしたが、一昨年の夏に敷地内と外側だけ整備したので、見た目だけはきれいになりましたが、室内は設備を含めて古いままです。
そうなんだ! 場所を買うわけですね。いくらなんでもガスは通ったのかな? 戸籍だけ置いておいて、実際には住んでいない、とか?
返信削除いまはたいていガスは通っていると思います。
返信削除以前は、住所だけ移せば目的の学校に通えたみたいですが、いまは実際に住んでいないといけないみたいです。
きれいに内装して子どもが学校に通っている間だけ住んで、卒業したらまた他の人に売るので、買値が高くても結局は回収できるらしいです。でも、学区房の制度がなくなったら、回収できなくなるわけで、ババ抜きみたいなものですね。
わたしが住んでいるのも以前は大学や海洋研究所などの職員住宅だったところですが、いまは持ち主が変わって大学などとは関係がない人が住んでいる部屋も多くなっています。
じいさんの部屋は台所にガスが通っていたけど、
返信削除いまは全部電気でやっている家も多いと思います。
台所はIHで、浴室は中国によくある電気熱水器で。
お昼だあねごーあねごー❤️
返信削除帰り道にゃーん。
ねこちんが、あねごーと言っていられるのも、あと少し( ̄∇ ̄)
返信削除1988年頃、日本はどうだったかな
返信削除〜て考えていました。バブル絶頂期。私は何をしていたかな。