明日は大雨の予報。花に嵐か~。今日のうちにたくさん見ておこう!
障子は、紙を貼ったあとに霧吹きをかけると、ピンとなる。しかし雨が降ると、シワシワしてくる。湿度で紙が伸縮するから、糊をつけた桟のところから破けてくる。日当たりのいい所から、そうなる。
障子貼りには(おしん時代の)イヤな思い出しかない私であるが、こういう現象を見て、邦彦君の詞に「琴の音が下がって来たから、外は雨かな?」ってのがあったな、と思ったりする。琴の弦が絹製なので、湿気で伸びて音が下がるのである~。
杭州留学時代は、とくに1年目の生活が不便で悲惨だったが、年間を通して(夏はいなかったけど)歳時を体験して記録したのが、よかったと思う。ちょっとしたことで作品の解釈に違いが出てくる、という話を、うさぎ先生としたよね~。
杭州は朝から空が白くけぶっていて、私は「PM2.5?」と思ったが、乾燥した北方生まれの陳さんが「水気だよ」と言っていた。ああ、そうよね、きっと。霧や靄よりさらに細かい粒の水気が、街をおおっている。
長野では、晴れた日の朝などに、山からモワモワと白く水気が煙のように立ち上がるのが、見える。東京だと、雨でもないのに隣の屋根が湿っていて、夜露の名残りが分かる。
こういう何気ない自然を掬いあげて、詩が生まれる。
私は髪のくるくる度合いで湿度が分かるが、これは詩語にならないな~。髪がボサボサまとまらなくなってくると、春だな~、と思うけど。
春になると、田舎から山菜が届くので、タケノコ(細い姫竹)の先端を包丁でそいで皮をむいたり、こごみをゴマ和えにするためにすり鉢でゴマをすったり、「させられて」いた。季節を感じ、かつ手先を器用に使うトレーニングにもなり、けっして無駄ではなかったと思うけど、「女だから」の理由で私だけ手伝わされていたので、イヤな思い出しかない。小学校の担任に「ハサミを使うのが上手」と褒められたりしたけど、まったく嬉しくなかった。
今さら変わらないし仕方ないけど、どうしてうちの母親はかたくなに「女に学問は要らない」をかれこれ60年も貫いているのか、不思議である。保育園の卒園の時に、「有力者の子ばかり代表になっているけど、もっと優秀なお子さんがいるのに!」と抗議する人がいて、私(☚優秀なお子さん)が代表で挨拶したらしい。小学校にあがると、担任が「このクラスに、身体は小さいけど頭脳がずば抜けて優秀な子がいます」と話して、アパートの隣の奥さんが「きっと春月ちゃんね」と言っていたらしい。
こういう話をたまにするくせに(私は全く覚えていない)、「学問」を仕事にしてからも30年以上たち、あと3年でやっと定年だ、という歳になっても、やはり家事のあれこれにダメ出ししたり、しているのである。「どうでもよくない?」と思うし、「じゃあ自分でやって!」と母娘なので言えるけど、これが姑だったらたまらないな、と思ふ。陳さん一族は(ハルピンの義姉1を除いて)そういうダメ出しはしない人たちなので、気楽である~。
私もかたくなに、60年以上も「男に生まれていたら楽だったのに」とは思うけど、「いわゆる『女性らしい』タイプだったらよかったのに」とは1ミリも思わないので、どっちもどっち、だよね。。
おはよーございますにゃあ♪
返信削除「男に生まれていたら楽だったのに」に激しく同意( ̄∇ ̄)
それくらい、まだまだ男尊女卑が横行しているんだなぁ。。。
と思っていますにゃ。
母親に似たタイプは世の中に(男女問わず)ウジャウジャいるので、その中で母親が60年も貫いているのは、「本人はこれで幸せだったからなの?」と思ったりもするけど、その割に愚痴の多い人なので(ここは母親似かな)、ナゾですよ~。
返信削除渦中にいると自分では気付きにくいことの一つですにゃ。
返信削除有馬温泉の湯気が山越しにときどき見えます。
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