さぶっ。台風一過の北風で。
今日はあの日。茄子でも飲む? って何?
久しぶりの夜間中途覚醒、朝勉ちう。台風接近に備えて、昨日のうちに「授業はオンデマンドにするよ~」と連絡済み。キャンパス休講の通知もきた。
「茶葉を使い切ろう!」キャンペーンを絶賛展開中だが、ライスペーパーも余っていた。キャベツがあるので、朝はお好み焼き風にしてみる。まだ数時間、先だけど。
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接近中の台風、まだ6号。勘弁してくれ~。
Netflixで台湾映画「大濛(霧のごとく)」を観た。
私が中国語を始めた頃、台湾はまだ戒厳令下だった。『大漢和』の台湾海賊版(すみません、安かったので)では、「毛沢東」だったか「中華人民共和国」だったか、あるいは両方か、項目が白抜きになっていた。
解除されたのは、1987年。私の20代留学は88年秋から2年間で、大陸側は「同胞」と言って台湾旅行者の受け入れを始めていた。杭州まで遊びに来てくれたO大の同学を見送りがてら香港の入口(同学はそこから日本へ帰国した)まで行き、杭州を通り越して北京へ行く長距離列車に、台湾のオッサンがいた。
当時は、列車の4人1部屋の寝台コンパートメントに、国籍性別混合で割り当てられて、私(留学生)と台湾男(旅行者)と、もう1人は中国人のおじさん(出張)の3人。大陸を香港から北京まで列車で北上しながら、「ここで日本軍がひどいことした」「ここでも日本軍がひどいことした」と台湾が言うので、しまいに中国が「気にするな、悪いのは軍国主義者だ」と日本を慰めた。
台湾男には「メイメイ(羊じゃないよ、妹妹)、一緒に北京を観光しよう」と誘われたが、「あららら~、予定があるので」と断わった。けっ!
私が台湾へ行ったのは、ずいぶん後になってから。故宮博物院で「大観展」をやった年なので、2007年ですか。あれはよかったな~。
あちー。
研究室の本は、自分の専門に近いものは資料とともに家へ、やや遠い「ごんじー修行」用は長野の書庫へ(ここまでほぼ終わった)。論文書きに必要だったけど図書館に行けば見られるものは、専門書を扱う古書店へ(研究室に取りに来てもらう)。残ったら下の階の合同研究室へ(欲しい先生が持って行く。貰い手がないものは新年度に廃棄処分される)。
「どこで何をしたいか」で、置く本が決まる。選別は私にしか出来ないので、少しずつやってました。
本は所詮、複製ですからね。大事なのは著作! と思うと、処分の手も進む。読む人がいなければ、本も古紙と変わらない。「誰かが読むかも知れない」と思って、古書店へ。「とりあえず私は、ちょっとでも読んだよ」だと、手放せる。「かなり読み込んだよ~」は、手放しづらい。「また読みたくなるかも知れない」なんて思ったりして。最終的にはそれも、処分される。でも今ではない。