2025年1月31日金曜日

週末は雪になるのならないの、とにかく寒そう。もう少しの辛抱ぢゃ。

いちど「中国詩詞に見える琴楽器」について、書いたほうがいいかも知れない。岩波文庫『文選 詩篇』はいまの古典詩研究の最高水準の先生たち(主に京都組)が集結しているけど、こと楽器が出てくると右往左往。宋詞研究会(学会になったけど)の訳註検討会も、同じ。一度でも楽器を見て、ちょっと触ってみたら、ああいう解釈は出てくるはずがないと思うが、しないのでトンチンカン。

ただ同じことは他にも言えて、私だって音楽は多少かじったから偉そうに物申そうとしているが、知らないこと、分からないことは、山ほどある。中国でへたに日本語を使った商品が「ちょっとヘンよね?」となりがちなように、まじめにやっているつもりでも「いやいや、そうじゃなくて」なことが、きっとたくさんある。

饮酒·清晨闻叩门_百度百科

chinese.art.coocan.jp/taoyinjiu.html (☚下定雅弘の中国文学の回廊)

下定先生、いま岡山大学北京事務所の所長だって。あらあら。

北京事務所を開設 - 国立大学法人 岡山大学

2025年1月30日木曜日

生日。愛で鯛!


年年有余!(魚は余と発音が同じ)。ハスは私のアイコン。寅さんの歌にもあるらしい、セミナーの学生さんが教えてくれた。


昨日は試験監督の助っ人、ついでに研究室の本を整理。定年までに「中国宋代の祭祀と音楽と歌辞」について1本書くことにしたので、それ用に少し配列などを見直し。



「音響一何悲、弦急知柱促」、どの「琴」楽器を弾いているとイメージしているのか? ピアノも「鋼琴」だし~。七弦琴に「柱」はない。岩波文庫『文選 詩篇』全六冊の(五)では、「『柱促』は琴柱の間隔が狭いこと」とあって、やはりピンと来ない。「当戸理清曲」も「戸口で澄んだ曲のおさらいをする」と訳してあって、えっ?

明治書院「新釈漢文大系」の『文選(詩篇)』も「清んだ音色の曲をかなでている。・・絃の音の急なのは、琴柱の促(つま)っているためであろう」と訳してある。「柱促」は「琴の絃を支える柱(ことじ)をきつく張って、絃声を高くすること」。この一段の前に「蟋蟀傷局促」とあって、「傷局促」は「蟋蟀の声が年の暮れを告げるのに、良士の才を伸ばし得ずして局促しているのを嘆く意」とある。蟋蟀ってたいてい戸口で鳴く。「当戸」は、戸口の蟋蟀の声、戸内の琴の音色、どちらにも急かされて、帰心、矢の如し。

「清曲」は「澄んだ曲」ではなく、音楽のジャンルです。「理」は調絃すること。弾き出したら悲しげで、琴柱(ことじ)を詰めた(弦を短めに琴柱を立てた)せいで高音になったからなのか?、という意味だと思う。でも実際に琴柱の立て方のせいで悲しげなのではなく、聞き手の心境でそう聞こえた。作者はいま「佳人多し」の「燕趙」にいて、江南の「清曲」の調べを聞いて「燕だったらあの人の元へ飛んで行けるのになあ」と思った。豊子愷の画は、燕が飛んでいった先の江南の風景のようですね。

うらうらと 照れる春日に 雲雀あがり 心悲しも ひとりし思えば

2025年1月29日水曜日

春節。新年好!

うさぎ先生からもらったお土産。かわいい♪



本は北京へ持って行こうかしら? イヤミったらしい? でもね、可愛いもの、美しいものを、そばに置きたいのぢゃ。

そして『詩経』や『宋詞三百首』を音読。何周くらいやると覚えられるかニャ?

2025年1月28日火曜日

今日はトークショーで、ウキウキ♪

渡辺信一郎せんせの『中国古代の楽制と国家 日本雅楽の源流』も読み直そう。祭祀の音楽の歌辞って、儀式次第っぽいのがけっこう入っている。皇帝はじめ、ふだん音楽専従じゃない人が大勢でやるから、芝居のト書きみたいな動作の部分も、歌いながらみんなで儀式をやっていたのかも知れない。

渡辺先生の本は「日本雅楽の源流」とあって唐代までの状況だが、宋代も祭祀と音楽にかなり力を入れる皇帝がいて、たいてい道教信仰者だったりしたので、道教と音楽、道教音楽と文学、なんて本も読み直したい。

『史記』をアタマから読んでいると、「道教」が仏教の影響を受けて成立するだいぶ前から、「天」の運行の規律や音楽の物理的な性質に気づいて、学問体系が生まれていた。言語化して規律を持たせると、「詩」になる。どういう規律かは、詩なのか辞なのか賦なのか、いろいろあるけど。

全部つながっているのだな~。いや、私がつなげているんだけど。つながっているな、とようやく分かった頃に定年だ、残念! 定年前にもう1本くらい論文を書いておこう、と最近ヒマになったので、意欲がわいてきた。

思えば、2024年は気が散ることだらけで、そんな気になれなかった。陳さんの様子は心配だが、まあまあ落ち着いていて、家政婦問題も義姉(中医じゃないほう)にも言われ、「3月また騒ぐようなら追い出すわよ!」で、タクシーも自力で呼んで透析に行かなくちゃ、と覚悟したようで、よろしい。体力も気力もなくて、家政婦の言いなりになっていたけど、妻を怒らせるともっと怖い!

私は家政婦にやりたい放題やらせている陳さんに腹が立っていたが、陳さんが気持ちをしっかり持って、義姉たちや私をイヤがって排除しようとする家政婦(理由は分からんが)の態度はヘンだよ、ということに気がついて、流されないようにするなら、あの家政婦でもどの家政婦でもかまわない。仕事さえちゃんとしてくれれば。

春節休みがネックだったが、他に来てくれる家政婦が1人も見つからない、なんてことないと思う。ばかばかしい。

2025年1月27日月曜日

さぶさぶ。昨日がよく晴れて室内は暖かだったので、10℃スタートが寒く感じる。しばらく三寒四温ぢゃ。

『詩経』のお勉強。加納喜光せんせの『詩経・Ⅰ 恋愛詩と動植物のシンボリズム』『詩経・Ⅱ 古代歌謡における愛の表現技法』や、小南一郎せんせの『『詩経』 歌の原始』を読み直す。孔子以前、儒教集団以前に「詩三百」は成立していた、儒教的教訓的解釈から脱却して、詩そのものを解釈しよう、という点は両先生とも同じ。

小南先生は、現行のテキストの配列と違って、頌⇒雅⇒風の順に成立したのではないか、という。詩そのものの作られた順はともかく、祭祀とその後の宴会で「詩」が音楽や舞踏をともなって披露されたとすると、『詩(経)』は大事なものほど後ろに置く配列で編纂された、って感じ?

「詩」(西周から東周)と「詩三百」(孔子の頃)と『詩(毛詩)』(後漢から唐代)と『詩経』(宋代以降)は、成立した年代が数百年単位で隔たっている。それぞれの時代の社会がどんな感じだったのか、なかなかピンと来ませんね。「国風」が面白いと感じるのは、叙事的な「雅」「頌」がピンとこない、ってのもあると思う。

私としては、祭祀の儀式の場で披露されたというけど、なんで儀式次第みたいなことまで書いてあるのかな、が疑問。司馬相如の「封禅文」が、前半は散文であれこれ書いてあって、後半は韻文で同じことを言っていて、これに似た形式の作品が六朝時代の人の詩にもあった。序が長々とあって、同じことを詩にした、というのが。

セミナーで『史記』「始皇帝本紀」の途中まで読んだが、始皇帝が天下統一を宣言したあと、中国全土を巡行してあちこちに石碑を立てるが、その碑文の文句が『史記』に引用されている。全国統一した理由と経緯を「3句ごとに韻を踏む」とか「2句ごとに韻を踏む」形で、石に刻して立てていく。「ここまでオレ様の領土だぜ」って見せびらかす感じで。そういう韻文は、あの手この手で始皇帝の偉業を讃えるもので、内容的には千篇一律、でも表現は凝りに凝っている。「というわけで石に刻して天下に示すのです」まで書いてあったり。

似た雰囲気を感じる。祭祀や宴会の場で披露された「詩」そのものだけではなく、「詩」が披露された場面を記録した台本的なもの、備忘録的なものが、雑じっている感じ。韻文の部分を書きとめたのが『詩』で、散文の部分は『書』とかに残っている?

うすぼんやりと妄想しながら、『詩経』と『楚辞』は原文の表現にこだわって、まだまだ勉強は続く。しかし同時に、そろそろ『楽府詩集』にも手を伸ばしたい。これまた「楽府」と『楽府詩集』は違うのだ。私が関心あるのは『楽府詩集』のほうだが、研究書は少ない。「楽府」のほうは、いくつかあるけど。

2025年1月26日日曜日

さぶっ。室温8℃、また寒気くんがやってきた~♪

少し机まわりを整理した。時間の余裕⇒気持ちの余裕⇒暮らしの余裕、いい循環である~。

DiDi(中国発タクシー配車アプリ)の使い方!日本でも使える?【日本語版の操作方法も解説】 - 海外Wi-Fiレンタルショップ

中国の無料メッセージアプリ「WeChat」「Alipay」内のミニプログラムに滴滴出行が入っており、こちらから中国版DiDiの利用ができます。

この前、陳さんが「タクシーアプリの使い方を習っておいて」と言っていた。アプリで呼んでおいて現金支払いでも、大丈夫なのかしら? 

金額を入力して決済する方法が、どうもうまく使えない。前回乗った時は2回とも、こちらのQRコードをスキャンしてもらう方法はタクシー側が対応していなくて、現金で支払った。ほかの商店なども全部、私がQRコードを出して読み取ってもらう方式で、やりすごした。