2022年8月21日日曜日

「歴代美文選」の冒頭は、賈誼の「過秦論」(上篇)。意味の分からないものを聴いても音読しても、効果ない、というので、ネットで検索して意味を確認する。有名な文なので、注と現代語訳が見つかる。難しい字がたくさんあるわけではないが、歴史が絡むので人名・地名だらけで、注がどっさり。

中国語のいいところは、難解な文章をあまり誉めない。名文とされるのは簡明なものが多く、1回読んですっと意味が入ってきて(私は違うけど)、たいていリズムもいいので、繰り返し音読するのに耐える。

古典の朗読はややゆっくりなので、意味を十分に理解したらシャドウイングでもいい、古典のリズムを盗みたい。でも現代語は、あのスピードについていこうとすると発音がテキトーになるので、1回聴いて1回音読、にしています。

『本気で学ぶ韓国語(中級)』をやろうとしたら、音声が速すぎて、ちょっと挫折。たいして面白い会話じゃないのに、そんな早口で言われても、みたいな~。面白いセリフなら、がんばって真似しよう、というモチベーションにもなるだろうけど。

2022年8月20日土曜日

初中文言文の参考書は、いちど最後まで目を通したみたい。書き込みがある。でもすっかり忘れているので、気持ちを新たに、もう一度。何度でも楽しめるにゃ~。(←前向き)

「蘭亭集序」や「赤壁賦」は、高中のほうなんだよね。内容が哲学的だからニャ。初中のは、もっと身近な題材が多い。

7年生(中学1年生)の文言文の冒頭は、清・沈復「童趣」、子どもの頃を振り返ると、目を見開いて太陽を直視したり、秋になって新しく生えてくる鳥や獣のこまかい毛もはっきりと見えた、という。年とると、そういうの、ムリだから。

原  文:能張目対日、明察秋毫。
品詞分解:能够 睜開 眼睛 対着 太阳、清楚地 看到 秋天鳥獣身上新長的 細毛。
現代語訳:能睜大眼睛直視太陽、能看清楚極細小的東西。

こんな感じで、品詞分解の部分では品詞や文法についても、ちょいちょい説明がある。現代語から見ているから、「名詞の動詞化」みたいな説明。

この「明察秋毫」は、前にはまって観ていた女性検死人(今なら法医学者)ドラマ「御賜小仵作」で、主人公が探している理想の検察官(今風に言えば)の特徴として、よく口にしていた。成語みたいに使われている。中学1年の教科書に載っていたわけだ~。

2022年8月19日金曜日

覚悟してきたが、東京もまあまあ涼しくなっていた。昨日の夜は、エアコンを使っていない。長野から研究室に送った本があるので、行かないと、来週は一斉休暇で入れなくなる。

⇒行ってきた! 本を動かしていたら、あちこちぶつけて、痛い痛い。本を読むのが好きだから、と司書や書店員になると、仕事中に本を読むヒマなどなく、重たい本をあっちへ動かし、こっちへ動かし、客の相手もして、たいへんなのである~。「この本をもっと読んでもらいたい」という気持ちの人が、なるべきなんですね。「私が読みたい」の先に、こういう仕事は成立している。

ポチ♪してあった『漢詩創作のための詩語集』も届いていたので、持って帰った。索引が充実していて、使い勝手がよさそう。ただ、こういう仕事を見るにつけ、中国人が「まず千字文」とか、「次は声律啓蒙」というのは、すごいことだなあ、と改めて思う。四書五経は丸暗記、もそうなんだけど。

私のネオ訓読(口語訓読)も、論文はすぐ書ける。語彙や用法をまとめて、辞書みたいなのを作るのも、時間はかかるだろうけど、できる。さらに覚えやすいように韻文で(どれか詞牌で?)、「詞によく使われる語彙や言い回し」を創作する、となると、これからどれだけ勉強しても、ムリじゃないか、と思う。(でも目標にするのは悪いことぢゃないぞお)

倉石先生は、漢籍を訓読でかなり読んだあとだから、「訓読でよむ壁を打破するために『左伝』ぜんぶ音読したる~」だったけど、「自分の発音は日本語の音図だった!」とかなり後に知ったそうだ。友人のO君は、日本語で文法の議論をしている時に中国語の例文が出てくると、顔つきや態度が一変、「まるで中国人」に見えたのに、と。

私は訓読は高校漢文までで、大学からは「まず中国語をやらなくちゃネ♪」という方針(倉石先生の孫弟子?)だったので、夏休みもまだまだあるし、一念発起してやるとしたら、「歴代美文選」をテキスト見ながらシャドウイング、とかいいかも知れない。

もしくは「初中文言文」の参考書が、原文の下に現代語訳をつける構成になっているから、少しずつ区切って「原文の音読+現代語訳の音読」と交互にやっていくと、いいかな。「初中文言文」の朗読も、ゲットしてある。

2022年8月18日木曜日

雨が降っている。。午前中で上がりそうなので、午後は東京へ? 査読が届いたら、ここでのんびりしているのも退屈。コメントに返事書いていたら、あれこれ浮かんで。

女が本を読んでいると疎まれる、って現代でもあるのね~。知ってたけど。私なんか、それでマンマ食べてるのに、「論文ばかり書いている」だの「十年で2回も留学してっ!」だのケチつける同業者や、「家にいてもケンキュウしてるんだっけね、あはは♪」とわらう隣の奥さんがいて、片手では足りないのである~。ひっくるめて、ぽぽぽーい♪ 

そういう人ばかりじゃ、ないからネ♪

2022年8月17日水曜日

こっちに『立原道造詩集』があったので、ちらちら読む。折り目がついているページは、私が折ったのかな? 「わかれる昼に」とか、わはは、恥ずかしいわ。

みんな、私に優しくしないで、みたいな~。嗚呼、青春の日々! なにとたたかっていたのだらう?

最近は、もっといたわってちょーだい、トシなんだから、ってか。

***

起きた!

立原道造は、「優しき歌」から数篇、合唱曲になっていて、学生時代に歌ったことがある。いま詩集を読み返すと、詩の内容にあまり共感するものはないが、「ソネットの形と新しい語法によって叙情詩を構成した」点が、ネオ訓読(口語訓読)の参考になるかな、と思って。

今日の小町:

読書家の娘 | 家族・友人・人間関係 | 発言小町 (yomiuri.co.jp)

立原道造の処女詩集『萱草に寄す』、「音楽の状態をあこがれてつくつた」という「楽譜のやうな大判のうすい詩集」だったそうな。ほー。

「夏の弔ひ」は、なんか詞っぽいわ。

2022年8月16日火曜日

こっちでも、夜間の中途覚醒ちう。虫の声が聞こえる。いちお今夜の雨から、ぐっと気温が下がる予報。東京も水曜に雨が降って、熱帯夜から開放される予報ですぞ。

こっちに置いてあった倉石せんせの『中国語五十年』を、ちらちら読み直した。先生が学生時代の夏休みに、一念発起して中国語で読み切ったのは『国語』だっけ?、と思っていたが、『左伝』(正義も)だった。長っ!

春秋左傳正義 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

辞書で発音を調べながら、かな? すごく大変そう。

***

起きた!

『中国語五十年』では、中国ではいずれ漢字を廃止してピンインで読み書きするようになるかも知れない、そうなった時に、日本で中国語を漢字頼りに勉強していると、漢文訓読の轍を踏むことになるのではないか。そういう懸念があった。

だから倉石先生は、漢字抜きのピンインだけの初級テキストを編纂したのだが、古典はもともと「漢字で書かない」前提の文体ではないので、ピンインだけになったら、どうなるかな? 韓国の時代劇でやっているように、直読で発音したあと、現代中国語で意味を言う、ような形になるのだろうか。

あれ、日本の文選読みみたい。文選読みは直読しないけど。

2022年8月15日月曜日

こっちに興膳せんせの『中国名文選』があったので、ちらちら読む。冒頭の解説で訓読文について触れていて、そうなのかな?

「朝聞道、夕死可矣」を見ながら「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」と読んでいる分には、現代の普通話の「zhāo wén dào /xī sī kě yǐ」とは読めないだろうけど、原語の構文は意識できただろうし、その気になれば漢音で「ちょう ぶん どう/せき し か い」なんて読めたかも知れない。お坊さんなら呉音や、宋音で。お経はそうして直読してたわけだし。

でないと、あれだけの漢文は書けなかっただろうし、逆に最近の現代中国語をやっている少数の人たちが、どれだけ中国語を「内在化」するほど修練積めてますか?、とも思う。「zhāo wén dào /xī sī kě yǐ」だって、普通話ではそう発音するけどね、というだけのことだし。

というわけで、やはりこっちに置いてあった国訳漢文大成(文学部)を見る。ネオ訓読(口語訓読)のために『紅楼夢』を読みたくて、冒頭から舌を巻かされっぱなし、凄みすら感じる訓読法なんだけど、ふと『唐詩選』を見たら、原文に訓点+書き下し文+注釈、の構成になっていた。注釈部分の文体は、漢文訓読調。

小説は、内容が分かればいいでしょう、ということで書き下し文だけ。でも原文の文字を残した訓読なので、これはこれでかなり面白いのだ。